父にがんと告げられた日に

どうもソラです。

久々の更新が重たい話で申し訳ないですが、
今回はちょっと重たい自分の今の現状のお話です。
気持ちの整理も兼ねてまとめています。

父ががんを宣告された

それは、いつも他愛もない父とのLINEで唐突に告げられました。

「あんまりショック受けんなよ」
「骨のガンステージ4今週木曜から入院」

管理人は仕事中でしたが、頭が真っ白です。

あまりに急すぎで仕事が手につかずトイレで一人泣きました、
定時近い時間だったのが幸いですぐに退社して父の元へ向かいました。

なぜいままで気づかなかったのか

父はかなり痛みに強く(我慢強く)、
今回も腰が痛くなりましたが、
重い荷物を持った時のぎっくり腰かなくらいの気持ちで地元の病院に通っていました。
ですが全く治らず、大きい病院に移ったところ発覚したようでした。

父はお医者さんにガーンとか言ったろみたいな精神だったのですが、
子供としてはそれすらも笑えませんでした。

一向に退院できない父と本当の病名

ステージ4ですでに転移が多く手術では取れない為、
放射線治療を行ってもらっていました。

「退院日この日ね」と言われて有給申請するも、
当日近くになってもやっぱり退院できないかもとのびのびになっていましたが、
それから数日後、お医者さんからあたらめて話をしてもらう場を設けて頂きました。

父は実は通常のがんではなく…
「神経内分泌腫瘍」という病気でした。
昔はカルチノイド(がんもどき)という名前で呼ばれていた病気とのことです。

症状としてはやっぱり一番重たいものらしく、
がんで言うところのステージ4に当たるものだったようでした。
治療方法もがんと同じため、病名としては通常のがんではありませんが、
がんと変わらない認識で良さそうです。

ただ、希少な病気らしくそれを特定するため退院日が伸びたとのことでした。

その日は休日だったのですが、
次の週のはじめに退院してくださいといきなりの退院となりました。

退院した父

体重も元のところから12キロ落ちたらしく、
筋トレも欠かさずやっていた力強い印象だった父が、
かなりほっそりしていてすごく寂しい気持ちになったことを覚えています。

病院食が苦手らしくあまり食べれていなかったようでしたが、
退院したら絶対にラーメン食べたいと言っていたので、
好きなラーメン屋を聞いて向かいました。(定休日でした)

なので、そこの近くのもう一つおいしいラーメン屋あるのでそこに行きました。

ミニラーメンを頼みましたが、
病院食レンゲ1口しか食べれないと言っていた父が、
ぺろりとスープまで飲み干したのでちょっと泣きそうでした。

退院後の現在は…

今現在どうなっているかというと、
治療と薬の効果もあってか、
数か月前に見た車いすの父の姿から想像できないくらい元気いっぱいです!

腰痛くて寝たきりだった生活を見ていたので、
むしろ健康に見えて子供心に嬉しい限りです。

父の病気は完治はすることはないし、余談も許さない状況ではありますが、
本人がしたいことをある程度できる元気があるので、
あとは限りある人生を楽しく過ごしてもらえたら嬉しい限りです。

伝えたいこと

私がこの記事を通して伝えたいこと1つです。

もし親に少しでも感謝している気持ちがあるのであれば、
感謝の気持ちを伝えたり、行動しましょう。
いつかではなく、今行動してください。
もちろん家族でなくても友人でも構いません!

人はいつか必ず死ぬとわかっていはずなのに、
どこか誰も死なず、無限に生きているかもと錯覚しているところがあります。

私も長期休暇は家族で顔出ししていましたが、
それでも○○を一緒にやりたかったとか○○に行きたかったとか
後悔していることもたくさんあります。

なので、いつ死んでも悔いが残らないというのは言い過ぎですが、
会えなくなる前に感謝の気持ちを伝えたり行動したりしてみてください。

私もこの体験を経て会いたかった人やりたかったことは悔いなくやらねばと心に誓いました。
何事にも後悔しない選択を!

まとめ

いつもは読み疲れないように画像を挟んで記事作ったりするのを心がけているのですが、
今回は文字ばかりになってしまいましたね。

あと、いつまでもしんみりしていても仕方ないですね!

この記事をまとめるかまとめないかとても迷っていたのですが、
書いたことによって結構スッキリしてます。

またいつもの調子でブログ更新していこうと思います!

本当に落ち着くまでは更新頻度は落ちるかもしれませんが、
このブログはやめる気はないのでまた見に来てもらえるとありがたいです。

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